日々、動物病院で診察室に立っていると、様々な飼い主さんと出会います。
ほとんどの方は動物への深い愛情に溢れ、私たち獣医療従事者にも温かく接してくださいます。
しかし一方で、インターネットやSNSに目を向けると、飼い主と獣医師の対立や、時に獣医師を強く非難するような声が目に入ることも事実です。
「なぜ、動物を救いたいという同じ目的を持っているはずなのに、すれ違ってしまうのだろうか」
「なぜ、時に獣医師は『悪者』として扱われてしまうのだろうか」
一人の獣医師として、今日はこのテーマについて少し個人的な考えを書いてみようと思います。
決して誰かを非難したいわけではなく、お互いの背景を知ることで、もっと優しく、協力的な関係を築けるのではないかと思うからです。
1. 診察室にある「温度差」の正体
まず、獣医師と飼い主さんの間ですれ違いが起きやすい最大の理由は、診察室における「立ち位置の違い」にあると考えています。
飼い主さんにとって、目の前にいる動物はかけがえのない家族です。
苦しそうにしていればパニックになり、「なんとかして助けてほしい」と強い感情を抱くのは当然のことです。
一方、私たち獣医師は、どれほどその動物が可愛くても、あえて感情を切り離し、冷静にならなければなりません。
血液検査の数値、エコー画像の所見、統計的なエビデンスに基づいて、客観的に状況を判断し、治療計画を立てる必要があるからです。
この「感情」と「科学」の交差点で、どうしても温度差が生まれます。
飼い主さんの不安に寄り添うことは大切ですが、私たちが医療的な事実を淡々と(あるいはドライに)伝えてしまうことで、「冷たい」「親身になってくれない」と受け取られてしまうことがあります。
これは獣医師側のコミュニケーション不足も多分にありますが、私たちが「冷静な判断を下すためのスタンス」を取っていることも、ご理解いただけると嬉しいなと思う部分です。
2. 悲しみの行き場と「悪者」の存在
病気が進行してしまったり、残念ながら動物が亡くなってしまった時、強い悲しみや怒りが生まれるのは自然な心の動きです。
人間は、強烈な悲しみや「もっと早く気づいてあげていれば」という自責の念に襲われた時、その重い感情を一人で抱えきれなくなることがあります。
その際、無意識のうちに悲しみや怒りの矛先を外へ向け、「誰かのせい」にすることで自分の心を守ろうとする心理が働きます。
そのもっとも身近なターゲットになりやすいのが、最後まで治療にあたっていた獣医師です。
ネット上で見かける「獣医に殺された」「誤診された」という強い言葉の裏には、こうした行き場のない深い悲しみがあるのだと思います。
私たちは専門家として、そうした感情の受け皿になることも仕事の一部だと理解していますが、やはり対立関係になってしまうのは悲しいものです。
結果がどうであれ、最後まで一緒に戦った「チーム」としてお別れができれば、と願わずにはいられません。
3. 「動物病院は高すぎる」という誤解と事実
そして、最も根深く、獣医師が批判されやすいのが「お金」の問題です。
「獣医は金儲け主義だ」「命を扱っているのに過剰に利益を取るな」といった意見は、定期的に世間の耳目を集めます。
なぜこうした不満が出るのか。
それは、日本の優れた制度である「国民皆保険制度」による感覚のズレが大きな原因です。
人間が病院にかかる際、窓口で払うのは1〜3割のみです。
しかし、実際の医療というものは、莫大なコストがかかっています。
獣医療は基本的に「自由診療」であり、全額自己負担です。
人間の医療と同じ水準の検査や処置をすれば、数万円単位の請求になるのは、決して「ぼったくり」をしているわけではなく、それが「医療の本来の適正価格」なのです。
動物病院も、一つの事業です。
最新の医療を提供するためには、数千万円するレントゲンや超音波診断装置、血液検査機器を導入し、維持しなければなりません。
そして何より、動物たちのケアをしてくれる動物看護師やスタッフに、適正な給与を支払い、生活を守る責任があります。
利益を出すことは、悪ではありません。
利益がなければ病院は維持できず、最新の知識を学ぶことも、機材を新しくすることもできず、結果として地域の動物たちに適切な医療を提供できなくなってしまいます。
「命を扱うのだから安く(あるいは無料で)奉仕すべき」という声は、持続可能な獣医療の基盤を壊してしまう危うさを含んでいるという事実は、少しでも多くの方に知っていただきたいところです。
4. 対立ではなく、対話を
私たち獣医師も、決して完璧ではありません。
説明が足りなかったり、配慮が行き届かなかったりして、飼い主さんを不安にさせてしまうことはあるでしょう。
そこは真摯に反省し、改善していく必要があります。
ただ、根本にあるのは「目の前の動物の苦痛を取り除き、元気にしてあげたい」という、飼い主さんと全く同じ想いです。
お金を騙し取ってやろうとか、適当な治療で済ませようなどと考えている獣医師は(少なくとも私の周りには)いません。(ネットにはたまにいます)
だからこそ、わからないことや不安なこと、あるいは費用面で厳しいことがあれば、ネットで不満を吐き出す前に、どうか診察室で率直に相談してほしいのです。
「この検査はどうしても必要ですか?」 「予算がこれくらいなのですが、できる治療はありますか?」 そう言っていただければ、私たちは一緒に代替案を考えます。
獣医師と飼い主さんは、敵対する関係ではありません。
動物の命と健康を守るための、最強のパートナーになれるはずです。
感情論や誤解を乗り越えて、お互いにリスペクトを持ちながら、「この子にとって何が一番良いか」を笑顔で話し合える。
そんな関係を、これからも飼い主の皆さんと一緒に築いていけたらと思っています。




