「日本は動物愛護後進国だ」「欧米などの先進国を見習うべきだ」——。

インターネットやメディアの報道で、こうした主張を目にすることは少なくありません。

動物の権利が法律で厳しく保障されている海外と比較して、日本の法規制は遅れていると批判される構造です。

しかし、果たしてそれは一面的な事実に基づく評価に過ぎないのではないでしょうか。

獣医師として日々の診療にあたり、様々な症例や情報に触れる中で、この「日本=悪、海外=善」という単純な二元論には強い違和感を覚えます。

本記事では、海外の法規制が生まれた歴史的背景、理想化されがちな「先進国」の現状、日本の持つ成果と歪み、そして議論の的となる「動物を利用した金儲け(ビジネス)」の是非について、客観的なデータや異なる視点から紐解きます。

誰かや特定の業界を攻撃するためではなく、読者の皆様に「正しいとされる情報」を鵜呑みにせず、自らの頭で多角的に考えていただくための材料として提示します。

第1章:海外の法規制と「先進国神話」の実態

「欧米では動物を守る法律が厳格であり、国民の倫理観が高い」という言説があります。

たしかに、イギリスなどを筆頭に動物福祉法(Animal Welfare Act)の歴史は古く、その内容は詳細です。

しかし、なぜそのような厳しい法律が必要だったのかという歴史的背景を見落としてはなりません。

19世紀のイギリス等では、闘犬や牛いじめ(ブル・ベイティング)、クマいじめといった残虐な見世物が大衆の娯楽として深く定着していました。

また、馬車馬などの使役動物に対する公衆の面前での凄惨な虐待も日常茶飯事でした。

「法律で厳しく罰し、取り締まらなければ、人として信じられないような残酷な行為が横行する」という治安や公衆道徳の乱れに対する危機感があったからこそ、それを強制的に統制するために法整備が急務であったという側面が存在するのです。

翻って日本はどうでしょうか。

法整備という形での明文化は遅れましたが、古くから万物に魂が宿ると考えるアニミズム的な精神や、「むやみに命を奪ってはいけない」という独自の倫理観が社会の基底にありました。

法律で厳しく縛り付けずとも、国民の間に一定の「動物への思いやり」が共有されていたため、結果として強制力を持つ法律を作らなくても動物たちがそれなりに守られてきたという解釈も十分に成り立ちます。

「法規制の多さや罰則の厳しさ=国民の道徳水準の高さ」と直結させるのは、歴史的文脈を無視した早計です。

さらに、海外の現状に対する誤解も根深く存在します。

例えば「ドイツは殺処分ゼロの国だ」としてティアハイム(民間の動物収容施設)が頻繁に引き合いに出されますが、実態は異なります。

施設には当然ながら収容限界が存在します。

そして、治癒見込みのない重篤な疾患を持つ動物や、重度な問題行動(強い攻撃性など)を持ち譲渡が不可能な個体に対しては、アニマルウェルフェア(動物福祉)の観点、つまり「これ以上の不要な苦痛を与えない」という目的のもと、獣医師による安楽死が選択されています。

アメリカにおいても、ASPCA(アメリカ動物虐待防止協会)等の統計によれば、毎年数百万頭がシェルターに収容されており、譲渡が進む一方で、収容スペースの過密を理由とした安楽死措置も現実として行われています。

「欧米はすべての命を無条件に救っている理想郷である」という情報は、一部の都合の良い部分だけが切り取られた幻想であることに注意が必要です。

第2章:日本の現状~実績の裏に潜む「殺処分ゼロ」の歪み~

では、日本の現状はどうなっているのでしょうか。

実は、行政による犬猫の引き取り・殺処分数は劇的な減少を見せています。

環境省の統計によれば、昭和50年代には年間100万頭を超えていた殺処分数は、近年では1万頭前後まで減少しています。

これは、狂犬病予防法等に基づく公衆衛生の徹底、動物愛護管理法の段階的な改正に加え、国民の適正飼養に対する意識の向上、室内飼いの一般化、避妊去勢手術の普及がもたらした明確な成果です。

日常的な衛生管理水準の高さや、獣医療へのアクセスの良さという点において、日本は世界的に見ても非常に良好な環境にあります。

しかし、この「数字上の成果」の裏で、新たな問題が深刻化しています。

それが「殺処分ゼロ」という言葉の独り歩きによる歪みです。

行政が目標としての殺処分数を減らすために引き取りのハードルを上げた結果、行き場を失った動物たちはどこへ向かったのでしょうか。

その多くは、民間の保護団体や個人ボランティアの肩に重くのしかかっています。

その結果、資金や人手が不足しているにもかかわらず限界を超えて動物を抱え込み、不衛生な環境で感染症が蔓延し、適切な獣医療も受けさせられないまま飼い殺し状態になる「多頭飼育崩壊」や「保護現場でのネグレクト」が多発しています。

「1日でも長く生かすこと(生命の延長)」を絶対視するあまり、動物が狭いケージの中で苦痛に耐えながら生き続けることを強いる状況は、科学的なアニマルウェルフェアの指標である「5つの自由(苦痛からの解放など)」に真っ向から反するものです。

日本は法律による縛りが緩やかであった分、一部の極端な感情論や、「かわいそうだから」という情緒的な動機だけで突き進む活動に対して、客観的なブレーキをかける仕組み(自浄作用)が十分に機能していないという弱点を抱えています。

第3章:動物を利用した「ビジネス・金儲け」の光と影

動物愛護の議論において必ずと言っていいほど対立の火種となるのが、「動物を利用したビジネス(金儲け)」の存在です。

ペットショップでの生体販売やブリーダー業を全て「悪」と見なし、完全な廃止を求める声も少なくありません。

しかし、経済活動と動物福祉を完全に切り離して考えることは、現実的でしょうか。

当然のことながら、利益のみを追求し、劣悪な環境で繁殖を繰り返させる悪質なパピーミル(子犬・子猫工場)や、適正な健康管理を行わない展示施設、衝動買いを煽る無責任な販売業者は、厳しく非難され、法的に排除されるべきです。

近年、日本の動物愛護管理法において、ケージのサイズや繁殖回数、交配年齢などの「数値規制」が導入されたことは、こうした悪徳業者を淘汰するための重要なステップとなっています。

一方で、健全なビジネスが存在しなければ、動物のQOL(生活の質)を高い水準で維持し、発展させることは不可能です。

遺伝的疾患を排除するための計画的な交配と高額な遺伝子検査、衛生的な飼育環境の維持、栄養学に基づいた質の高いペットフードの研究開発、そして私たち獣医師が提供する高度な獣医療。これらを社会に提供し、持続可能なシステムとして機能させるためには、多大なコスト(資金)がかかります。

「命に値段をつけるな」という感情論は耳障りが良いですが、高いレベルでのアニマルウェルフェアを担保するには、適正な対価が必要不可欠なのです。

ルールを守り、利益を出し、それを動物の環境改善や研究に再投資する優良な事業者は、動物福祉の向上に明確に貢献しています。

さらに視点を変えれば、「保護・愛護」の領域にもビジネス的な側面が存在する事実から目を背けることはできません。

「保護犬・保護猫」という言葉を大義名分として高額な譲渡費用や協賛金を請求する団体、同情を引く発信で多額の寄付金を集めながら適切な飼養管理を行わない寄付金ビジネス。

あるいは、繁殖業者から不要になった犬猫を有料で引き取り、そのまま劣悪な環境で放置して死に至らしめる「引き取り屋」の存在などです。

「無償のボランティア=善」「お金が絡むビジネス=悪」というバイアスを取り払い、その活動が事業であれ保護活動であれ、「本当に動物のアニマルウェルフェアを満たしているのか」「透明性を持って運営されているのか」というファクトベースの評価軸を持つことが極めて重要です。

第4章:なぜ関係者は対立するのか?協調への道筋

行政、獣医師、繁殖・流通業者、そして愛護団体。

それぞれのステークホルダーは基本的には「動物のため」という思いを持って活動しているはずなのに、なぜ激しく対立してしまうのでしょうか。

最大の要因は「評価軸の不一致」です。 愛護活動を行う方の一部は、「1頭でも多くの命を救うこと、生かすこと」を至上命題とします。

一方で、獣医療の専門家や公衆衛生を担う行政は、「苦痛の除去」や「QOL(生活の質)」、「人と動物の共通感染症の予防」を重視します。

治癒の見込みがなく、薬を使ってもコントロールできないほどの激しい苦痛を伴う状態の動物に対し、獣医学的見地から安楽死という選択肢を提示した際、「命を諦めるのか」「殺す気か」と感情的に激しく非難されるケースは珍しくありません。

また、情報の非対称性と「切り取り」も対立を深めます。

前述したように、海外の制度の良い面だけを根拠にして国内の仕組みを攻撃するケースが散見されます。

しかし、例えば「殺処分ゼロ」を社会全体で維持するために、海外の一部地域では重いペット税や厳格な飼育ライセンス制度、そして明確な安楽死の基準といった「飼い主への重い負担や厳しい現実」がセットになっていることは、都合よく伏せられがちです。

こうした一部の極端な発言や行動、いわゆる「愛誤」と揶揄されてしまうような他者への過度な攻撃性が、業界全体の分断を生んでいます。

どの業界にも自浄作用は不可欠ですが、互いを敵視し、不信感に覆われていては、その作用は決して機能しません。

おわりに:自らの頭で考え、レベルを高めていくために

日本には「動物愛護後進国」というレッテルを貼るだけでは見えてこない、国民の底辺にある高い道徳観と、積み上げてきた確かな実績があります。

一方で、制度設計の遅れや、感情論が先行した結果生じている歪みも厳然として存在しています。

動物たちを取り巻く環境を本当の意味でより良くしていくためには、無益な対立やラベリングをやめる必要があります。

海外の事例を「絶対的な正解」として振りかざすのではなく、一つのデータや代替的な視点として客観的に捉え、日本の文化や現状にどう適用できるかを冷静に考えること。

健全なビジネスとボランティアが敵対するのではなく、それぞれが異なる役割を担っていることを理解し、手を結ぶこと。

そして何より、私たち一人ひとりが、流れてくる情報を無批判に受け入れるのではなく、「その主張にはどのような背景があるのか」「異なる結論を導く根拠は存在しないか」を、自らの頭で考え続けることが求められます。

日本の持つ本来の豊かな「愛護精神」を、科学的かつ客観的なアニマルウェルフェアの視点と融合させることができれば、私たちは対立を乗り越え、より高いレベルで動物たちと共生する社会を築いていけるはずです。

動物たちの未来を作るのは、法律の数ではなく、事実に基づき自ら考え、行動する私たちの意識に他なりません。

私も頑張ります。みなさんも一緒に頑張りましょう。

頑張っている人は、頑張りすぎないで下さい。

自分の体を大事になさって下さい。

全ての動物と動物に関わる人達が幸せになることを祈っております。