
人間の医療と動物医療において、最も決定的な違いは何か。
それは「選択肢の幅」と、それに伴う「決断の性質」にあります。日本の人間医療は国民皆保険制度のもと、どの病院に行ってもある程度均一化された標準治療を受けることが前提となっています。
しかし、動物医療における正解は一つではありません。
高度な先進医療から、痛みを和らげることに特化した緩和ケア、あるいは住み慣れた自宅での看取りまで、非常に幅広い選択肢が存在し、その中から「その子とご家族にとっての最善」を選び取るプロセスが求められます。
「正解」のない選択肢とShared Decision Making(協働意思決定)
動物は自身の言葉で痛みや希望を語ることができません。
そのため、医療方針の決定権は必然的に飼い主であるご家族に委ねられます。
我々獣医師の役割は、単に病気を治すことだけではなく、科学的根拠(エビデンス)に基づいた複数の選択肢を提示し、ご家族と共に悩み、方針を決定する「Shared Decision Making」を実践することです。
治療方針を決定する際、獣医師は以下の要素を複雑に絡み合わせながら選択肢を構築します。
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動物福祉とQOL(生活の質): 苦痛の排除、本来の行動をとれる環境、治療そのものがもたらすストレスの比較衡平。
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医学的予後: 積極的治療を行った場合の生存期間や、副作用のリスク。
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ご家族の社会的・経済的背景: 治療にかかる費用、通院や自宅ケアに割ける時間、ご家族自身の年齢やライフスタイル。
すべての患者に対して「大学病院での最高度医療」を勧めることが、常に正解であるとは限りません。
経済的な理由や、毎日の点滴に通う時間の捻出が難しいというご家族の事情も、決して非難されるべきものではなく、医療をカスタマイズするための重要な前提条件です。
第三者の声と、診察室という密室の決断
現代は、SNSなどを通じて他者の治療経過や選択が容易に目に入る時代です。
「なぜ手術をしなかったのか」「もっと早く別の病院に行けばよかったのに」といった、第三者からの意見や批判に晒されることも少なくありません。
人間ですので、自らの価値観に基づいた正義を振りかざしたくなる心理や、外から見て愚痴っぽくなってしまう感情は理解できます。
しかし、実際の臨床現場はもっと複雑です。
動物福祉に著しく反するネグレクトや虐待に対しては、獣医師として明確にノーを突きつけ、批判すべき時は批判します。
ですが、それ以外のケースにおいて、ご家族とかかりつけ医が診察室で真摯に向き合い、涙ながらに下した決断に対し、事情を知らない第三者が意見することは適切ではありません。
その決断の背景には、外からは見えないご家族の深い愛情と、現実的な生活の葛藤が存在しているからです。
他者の選択肢の重さを、表面的な情報だけで量ることは誰にもできません。
私は一人の臨床獣医師として、現実から目を背けず、医療の限界や「できること・できないこと」を明確にお伝えします。
その上で、目の前の動物の福祉を守りつつ、ご家族の人生が破綻しないための現実的な選択肢を、可能な限り提示し続けます。
獣医師としての矜持を持って、動物とご家族の両方の人生に寄り添い、共に歩んでいくこと。
それが、私の果たすべき責任だと考えています。




