~愛犬・愛猫と、より健やかで長い暮らしのために~
私たち獣医師のもとには、日々たくさんのワンちゃん・ネコちゃんが訪れます。中には、高齢になってから大きな病気を患い、治療が困難になるケースも少なくありません。
そうした疾患の多くは、実は「若いころに避妊・去勢手術をしていれば防げたかもしれない」ものです。
今回は、犬や猫における若齢期の避妊・去勢手術の重要性について、科学的な根拠(エビデンス)を交えながら、わかりやすくご紹介していきます。
1. 避妊・去勢手術とは
避妊手術(メス):卵巣や子宮を外科的に取り除く手術
去勢手術(オス):精巣を外科的に摘出する手術
どちらも、発情(ヒート)や繁殖能力をなくす目的で行われる処置であり、実は「単なる出生制限」のためだけのものではありません。
健康を守るための重要な医療行為でもあります。
2. 若齢期に行う最大のメリット:病気の予防
避妊・去勢手術の最大の利点は「将来の病気のリスクを大きく減らす」ことです。
▶ メスの場合:乳腺腫瘍・子宮蓄膿症の予防
-
乳腺腫瘍(乳がん)
犬の乳腺腫瘍は、避妊手術の時期により発生率が大きく変わります。
特に発情前(初回発情前)に避妊手術をした犬では、乳腺腫瘍の発生率は0.5%未満と報告されています。
(Schneider R. et al., 1969, “The effect of ovariectomy on the incidence of mammary tumors in dogs”)
一方、初回発情後に避妊すると約8%、2回目以降では25%超にまでリスクが跳ね上がります。
-
子宮蓄膿症
高齢の未避妊雌犬の約2割~4割に発生するとされる命に関わる病気です。
避妊手術で卵巣・子宮を摘出することで、このリスクは**ほぼ0%**にできます。
猫でも子宮蓄膿症は稀ですが存在し、無症状のまま進行してしまう場合があります。
▶ オスの場合:前立腺疾患・会陰ヘルニア・肛門周囲腫瘍の予防
-
前立腺肥大・膿瘍・嚢胞
加齢とともにホルモンの影響で前立腺が肥大し、排尿・排便障害を引き起こすことがあります。
去勢を行うことで、こうした前立腺疾患の多くを未然に防げます。 -
肛門周囲腺腫
特に中高齢の未去勢犬に多くみられる良性腫瘍ですが、稀に悪性化します。去勢済みの犬では発生率が激減します。 -
会陰ヘルニア
未去勢オス犬に多く、高齢になると直腸が脱出してくる疾患で、排便困難・痛みを伴います。去勢によって予防可能です。
3. 発情やマーキングなどの行動問題の抑制
避妊・去勢手術は、ホルモンに関連した行動問題にも良い影響を与えます。
-
発情に伴う夜鳴き、落ち着きのなさ
-
攻撃性やマウンティング
-
室内でのスプレー(尿マーキング)
-
飼い主の呼びかけに反応しづらくなる
これらは、性ホルモンが関与する一時的・周期的な行動であり、手術によって軽減または消失することがあります。
※ただし、すでに学習された行動には効果が薄いこともあり、若齢期の実施が重要です。
4. 不測の妊娠や望まれない命を減らすために
犬や猫の妊娠は、望まないうちに発生してしまうこともあります。
特に猫は交尾排卵(交尾の刺激で排卵)であるため、発情中にわずか一度でも交尾があれば妊娠する可能性があります。
地域によっては、未避妊の猫が野良猫との間に繁殖し、結果として多頭飼育崩壊や殺処分につながることも少なくありません。
私たち一人ひとりができる命の守り方の一つが、避妊・去勢の徹底です。
5. 若いうちの手術の方が身体への負担が少ない
避妊・去勢手術は全身麻酔が必要な外科手術です。
そのため「麻酔が怖い」と心配される方もいらっしゃいますが、実は若ければ若いほど麻酔のリスクは低く、回復も早いというのが実情です。
たとえば…
-
子宮蓄膿症で10歳を超えてから緊急手術 → 麻酔・出血・術後管理のリスク大
-
健康な若齢期での計画手術 → 安全かつ術後の回復も早い
「高齢になってから病気になって手術する」よりも、「若く元気なうちに安全な手術を行う」ほうが、身体への負担は圧倒的に小さいのです。
6. 手術によるデメリットや誤解
避妊・去勢手術は多くのメリットがある一方で、デメリットや誤解もあります。正しく理解しましょう。
▶ 太りやすくなる?
術後は性ホルモンの影響がなくなるため、基礎代謝が下がることがあります。ただし、食事管理と運動によって体型は十分に維持できます。
「太るから避妊・去勢しない」という判断は、かえって病気のリスクを高めてしまいます。
▶ 性格が変わる?
性格がまったく別人になるような変化はありません。
むしろ、発情による不安定な行動が落ち着き、「穏やかになる」「甘えん坊になる」と感じる飼い主も多いです。
7. 避妊・去勢の推奨時期は?
一般的には…
-
犬:生後6~12か月ごろ(初回発情前が理想)
-
猫:生後5~6か月ごろ(発情が来る前)
ただし、犬種や健康状態、発育状況により最適な時期は変わります。
かかりつけの獣医師としっかり相談しましょう。
まとめ
避妊・去勢手術は、ペットにとって将来の病気や行動トラブルを防ぐ、大切な「予防医療」の一つです。
特に若齢期に行うことで、
-
命に関わる病気のリスクを大きく減らせる
-
精神的にも落ち着きやすくなる
-
社会的な問題(望まれない命)も防げる
という多くのメリットがあります。
愛する家族がいつまでも健康で穏やかな毎日を送れるように、避妊・去勢という選択肢を、ぜひ前向きに考えてみてください。
参考文献・資料
-
Schneider R, Dorn CR, Taylor DO. (1969). “The effect of ovariectomy on the incidence of mammary tumors in dogs.” Cancer Res.
-
Root Kustritz MV. (2007). “Determining the optimal age for gonadectomy of dogs and cats.” JAVMA.
-
Howe LM. (2015). “Current perspectives on the optimal age to spay/castrate dogs and cats.” Vet Med Res Rep.
-
日本獣医師会「犬と猫の不妊・去勢手術について」
-
環境省「家庭動物等の飼養及び保管に関する基準」