100日後に食べられる豚、というYoutube上の動画があったのですが、

それが、

情報商材屋の仕掛けた案件だということがわかったようです。

どうやら、

豚はまだご存命のようで、

そんな趣味の悪い情報商材屋の道具となって犠牲になる子がいなかったことは

喜ぶべきなのかなと思います。

ただ、畜産業という、我が国の食や健康を支えるために

日々努力をしている方々の顔につばを吐きかけるような

無礼で下賤な行動には、

非常に憤りを感じます。

自らの利益のために、

第三者を貶めるような手段を取る人間を、

私は指示しませんし、

非難します。

正しい情報発信の仕方で、

様々な問題について議論や思考を積み重ねることが大事だと思います。

 

最近Youtubeにおける動物の扱い方に物議が起きています。

特に、我々の身近な猫や犬を利用して、

再生数や登録数を稼ぐ手法が蔓延していることが問題視され、

たとえば、普通に購入した動物を、

保護動物のように偽って美談にしてみたり、

可哀想な遺棄動物を作り出して視聴者を得るような手段が問題になっているみたいです。

ん?

本来保護動物ではないものを、

保護動物の名札をつけてマネジメントする・・・?

どっかで聞いたような・・・?

 

気の所為ですよね。

 

とにかく、

安易に動物を使えば視聴者数や登録数を稼げるというのは、

一時期の、いや、今もかも知れませんが、

テレビ業界ではよく使われていました。

子供と動物を出しておけば視聴率は稼げる。

ってやつですね。

ああいう番組でも、

動物福祉的な目線でいうと、

非常に問題が有るような行為も、

『かわいい』

という言葉のためにそのまま放送され、

多くの人々の目に触れることは、

必ずしも動物のためにならない、

って感じで見てしまうので、

どうにも楽しめなくなってしまいました・・・

素直に可愛いなぁ、で済ませたいんですけどね・・・

 

結果として動物が幸せになっていれば、

私はそれでも良いと考えています。

ただ、嘘やわざと曲解させるような表現を用いて、

自らの利益に誘導する行為は、

詐欺のようなものです。

人を騙して自らの利益を得る行為は、

批難されることはあっても、

尊敬はされません。

お天道様に顔向けできないような手段で、

利己的な行動を取ることは、

自らのためにも止めたほうが良いと思います。

自分自身の手で、

自分の人生に泥を塗るような生き方は、

いずれ後悔します。

自分自身に嘘をなるべくつかずに、

結果として利他的になる生き方をしたほうが、

たぶん、気持ちいいですよ。

 

根が深い問題としては、

動物が絡む問題でたびたび起きるのが、

善意による虐待、虐待は言いすぎかも知れませんが、

根本は善意から行われる、悪行。って感じですかね。

これは非常に問題が複雑です。

自分がお金を得るために人々を騙したり害したりしているなら、

わかりやすく悪、なんですが、

自分は良いことをしていると信じ込んでおり、

根本的な行動原則が善意である場合、

その行動自体が、問題のある行為であったりしても、

本人は正しいと信じてしまっているので、

どんな指摘や指導を受けても、

正義の名のもとに自らの誤りを認めることができなくなり、

周りから見ても、

当事者の行動原理は善意のために、

正当な指摘や非難であっても、

善意・正義に対する反論反証、つまり悪、というレッテルが塗られてしまいます。

結局犠牲になる動物が置き去りになり、

感情論による対立が起きたり、

非常に根深いです。

愛護センターや公務員にクレームをぶつける方々も、

善意から行っているので、

その行動によってどのような問題が生じていようが、

正義は我にあり! といった感じで問題として捉えなかったりします。

その行動の結果が、動物のためになっていないことが見えなくなってしまっているのです。

感情論は別にして、

客観的な視点で自らの行動を見ることは、

非常に大事なので、常に見落とさないように気をつけなければいけません。

正義

なんて言葉が自分の行動原理になった時は、

本当に気をつけましょう。

本当はみんな動物のために行動しているのに、

対立するような悲しいことは

減ってほしいです。

きちんと冷静に話し合って、

現実的な議論をすれば、

手を取り合えるはずです。

感情や正義の目隠しは、

本当に大事なことを隠してしまいます。

知性と理性と品性を大切にしましょう。

動物の幸せのために、手を取り合えるはずです。

 

私は、そう、信じています。

 

ではまた!!