今回の話は、
たぶん、
賛否両論だと思います。
死生観的なお話も含みます。
一つの答えが有るような単純な問題でもありません。
私も何が正しいということを伝えたいわけじゃありません。
一つの問題には、
いろいろな考え方や、
いろんな背景や、
いろんな受け取り方があって、
簡単に、
一つの正義や、
一つの正解が有るわけじゃないんだ。
ってことを知ってほしいと言う思いで、
文章を書かせていただきます。
一生懸命考えて言葉を選んでいくつもりですが、
もしかしたら、
人を傷つけてしまう可能性だって有るかもしれません。
私自身の言葉の未熟さでそのような思いをさせてしまったら、
申し訳ございません。
今回書きたかったことは、
治療について、
特に終末期の治療についてです。
命あるもの、
必ず終わりが訪れます。
終わり方にはいろいろな形があると思います。
天寿を全うして、眠るように飼い主様に見守られるように虹の橋を渡る。
理想的な形だと思います。
私自身も、そういった見送り方が出来るお手伝いをしたいと常々思っています。
でも、そうでもない形もあります。
病気によって、つらい状態で亡くなってしまうこともあります。
本当に様々な状況で動物は亡くなっていきます。
そして、
動物と飼い主様の関係性は、
全ての動物の数だけあります。
我々獣医師との関わり方も、
その症例一軒一軒全て異なっています。
明確な一つの答えがあるような問題ではありません。
病気には、治療するればわかりやすく良くなる病気も有れば、
治療をして、現状を維持することが精一杯の病気もあります。
酷い状態を、少しでも楽に過ごせるように一生懸命治療することしか出来ない病気もあります。
少し、嫌な例を出してお話します。
例えば心臓病。
一般的に多く存在する僧帽弁閉鎖不全症、
弁膜症と呼ばれる、
心臓に存在する逆流を防ぐ弁がゆるくなり、
逆流を起こしてしまうことによって、
様々な心臓の症状を引き起こしていく病気です。
心臓病は、基本的には心臓の状態を改善する治療ではなく、
現状の心臓が楽に働けるようにする治療が中心になります。
心臓外科を行って弁自体をいじることができれば、
状態の回復も行えますが、
出来る病院は限られており、
非常に高額な治療が必要になり、
誰でも行える治療ではありません。
現実的な問題として、
すでにここで、
状況回復治療をするか、現状維持を目指した治療をするかで、選択が生まれます。
様々な問題が存在して、どちらかの治療を受けるわけですが、
どっちを選んだから、どっちかが正義であるということではありません。
その後、
治療をしていても、
時間経過を経て、状態はどうしても悪化していきます。
重い症状を出してくることもあります。
もちろん我々獣医師は、
重い症状で来院されたら、その症状からの回復を目指して必死に治療します。
しかし、
一方で、
治療を行っていながら、
そういった重い症状を起こすということは、
これから先、
同じような状態に、
以前よりも陥りやすくなって知っている可能性が有るということも考えなければいけません。
重く強い症状がこれから何度も襲いかかってくる可能性を考えて、
その段階で、もうこれ以上の治療をしない選択肢も存在します。
あんまり好きじゃないですけど、西洋であると、
今後苦しむ可能性がある場合、
その苦しみから救ってあげるという目的で、
安楽死が選ばれたりすることもあります。
話を戻しますが、
この先に、楽しく幸せな生活が待っている治療であればいいですが、
ここから先、
より辛く厳しい戦いが待っている治療もあります。
そこで、治療を続ける選択肢を選ぶことも、
そこで治療をやめるという選択肢を選ぶことも、
どちらかが正しくて、
どちらかが間違っていると言う問題ではありません。
動物と、飼い主様と、我々獣医師と、
それらを取り巻く環境、
本当に様々な要因が絡み合って、
決断して選んでいるんです。
その決断は、
正しいとか、間違っているとかそういうものじゃないんです。
様々なことを含めて、悩みに悩んで選ばれた選択肢を、
第三者が評価してはいけないものだと思っています。
よくあるのは、
何も知らない第三者が、
偉そうに高説をたれてくることです。
時に、そういった心無い言葉で、
いろんな問題を一緒に考えてきた信頼関係をぶち壊されることもあります。
人は、責任をできればどこか自分以外に任せたい生物ですから。
誰かのせいにして、自分以外の責任にして、それを攻めたほうが、自分の気持が楽だからです。
そして、そういった助言? をする人間も、
自分の正義でいいことを言った気持ちになれて、
気持ちいいんですから、厄介です。
悪意ではなく、善意で行ったりします。
今でこそ、そういった気持ちも深く理解できるようになりましたが、
若い頃は、
何という身勝手な!!!!
と、怒りを覚えたこともあります。
自分の選択に、
あれほど危険性を提示していたのに何も選ばずに、
いざ事が起きたらこちらのせいにする恥知らず共が!!
なんてことを考えていた時期もありました。
でも、仕方がないんですよね。
人間って、そういう生き物ですから。
他人の気持ちは変えられないんだ。ということを認めることで、
怒りではなく理解した上で、
事実をもとに冷静に話せるくらいには成長したと思います。
たぶん。
最近はそういった不条理なことも減った気がします。
結局、こちらも怒りから対立してしまうから揉めるんだろうな、
と今では思うことが出来ます。
結局何がいいたかったんだってばよ?
って感じですが。
物事は、単純ではなく、複雑で、
積み重ねた時間や思考の末に選ばれた選択肢を、
何も知らない第三者がかき混ぜることは罪深いことですよ。ってことと、
どんな選択であれ、
よほど酷い選択だと獣医師も少し怒ったり説得したりしますが、
基本的には、間違っていることはないんだと言うことを、
自分でも、獣医師も理解していったほうがいいんだよ。って話です。
ただ、選択したのなら、そこに生じる責任はきちんと受け止めてあげてください。
それが、選択した人間の責務だと思います。
大丈夫。
貴方は間違っていません。
間違っていたら、ちゃんとお話します。
何も知らない第三者の言葉に傷つけられないことを、
心から願っています。
難しいです。
本当に難しいんです。
わかりやすい簡単な答えを出す人を、
安易に信じてしまわないようにも、
気をつけてくださいね。
ではまた!!