Youtubeを見てくださっている飼い主様から助言をいただきました。
本当に有り難いですね。
自分に対してこうしたほうが良いよと助言をいただけるのは本当に有り難いです。
怒られたり、叱られたりでさえも、有り難いと思っています。
もちろん今回は優しい改善案をいただいて、確かにその通りだなと変えていく準備をしています。
なぜ人に叱られても怒られても有り難いと思うのか?
自分が変わるきっかけをくれるからです。
指摘が100%正しいわけでもないので、必ずしも変わる必要はないのですが、自分自身を見つめ直して「これでいいのか?」「もっといい方法があるのではないか?」と自分に問いかけることが出来るからです。
歳をとったり、地位が上がってしまうと、なかなか人からそういった指摘を受けることが減ってきてしまいます。
これは本当に危険なんです。
間違ったまま増長していってしまって、どんどん周りの人の心が離れていってしまう・・・
そして、たとえば地位などで持ち上げられていた場合、その地位が無くなった瞬間にただの厄介者になるのです。
高齢者であれば、老害などと影で言われてしまうのです。
そうならないためにもこういった助言は素直に受け取る。感謝をする。
怒られたり叱られたりしたら、ああ、この人は自分が変わってほしくてそういってくれているんだな、と感謝をする。
もちろん例外はありますよ。
以前にも書きましたが、カバードアグレッションという性質があります。
あなたの味方のように近づいてきてマウントを取ってくる人間。
こういった人はネチネチネチネチと止めること無く貴方のことを下に下に下げようとしてきます。
こういった人間からはすぐに距離を取るべきです。
あとは過度に暴力的な場合、リアルな暴力は直ちに警察に連絡しましょう。
言葉が汚かったり大きかったり強かったり、こういう人間はただ相手を暴力によって屈服させることが目的なので、言っている内容に意味がありません。
それと場面場面で言うことに一貫性がない人も、ろくなこと言っていません。
他人に指摘する時は偉そうなのに、自分が指摘されると激高するような輩の言うことなんて聞く必要はありません。
私が言いたいのは、相手が貴方に不興を買うことも理解していて、その上で愛のある指摘をしてくれている場合を言っています。
今回の件は1mmも不興は買いませんでしたが・・・人間は、特に前述の年齢や立場があると、他人からの指摘に対して不愉快になってしまいます。
その不愉快になった心のままその指摘に反発してしまう。そのちょっと前に、相手の気持ちを考えてみる。そのワンアクションが貴方が成長できるきっかけになるか、ならないかの分岐点になるのです。
私はそういう人を心から大切にしたいと思いますし、出来るならば誰かにとってのそういう人でありたいと思っています。
最近、なんか秋だからかこういう文章を書きたくなっています。
自己啓発的というか意識高い系というか・・・
ブログなどに「書く」というアクション、アウトプットをすることで、改めて自分の心に行動を刻み込む作業になっているのかもしれません。
大ヒット著書でもある『メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)』前田裕二[著]をはじめ、多くの方が自分の考えをアウトプットするのに「書く」という行動を勧めています。
私もそう思います。
自分の気持ちを文字として書き出すというのはとても大事だなと実感しています。
紙にペンで書いてもいいですし、最近ではiPadみたいなタブレットはそういった作業にぴったりですね。
単語でも短い文章でもいいですから、とりあえず書き出していく、そうすると自分自身でも気が付かなかったいろいろなことに気がつけたりします。
「ああ、自分はこんな事を考えていたのか・・・」
「そうか、本当はこうしたかったんだ」
「実はコレが悩みだったのか」
いろいろなことに気が付きます。
おすすめです。
ようやく暑さが・・・去ってないですけど、さりそうな気配がしてきました。
過ごしやすい陽気になった時に気が抜けて体調を崩すこともあります。
ペットも飼い主様も健康にご留意ください。
それではまた。