最近感じることは、
人との会話の中で、
自分の言いたいことだけを話して、
相手の話すことをちゃんと理解できない人が増えている?
って、うっすら感じます。
聴く力の低下?
大前提として、
話し方って結構聞いたりすることはあっても、
人の話の聞き方って、あまり教わらないってのはあるのかもしれません。
さらに、
ここ最近のSNS文化によって、
自分の言葉を発信することが容易になりました。
コメントが付いたりして、
人の言葉を聴くこともできますが、
気に食わなければブロックしたりミュートしたり、
自分の好きにシャットダウンできてしまいます。
その結果、
自分に都合の良い意見や、
耳障りのいい言葉だけを集めることになってしまいます。
結果として、
議論ができなかったり、
会話ができなかったり、
ということに繋がってきているのかな・・・?
とか思っちゃいます。
会話って、やっぱり相手あってのことです。
自分の話したいことだけをしゃべるなら、
会話じゃないです。
相手の話を聴くことこそが、会話の重要性だと思っています。
そして、相手の話をちゃんと聞くからこそ、
相手は貴方の話を聞いてくれるのです。
もちろん関係性はあります。
貴方が講師や先生など、
話すことが役割の人間の場合は、
相手の話を聞いているだけではいけません。
でも、実は・・・
自分が話すときにも、相手の話を聞けます。
ちょっとオカルトな話に聞こえるかもしれませんけど、
声なき声を聴くんです。
でも、これはオカルトでもなんでもありません。
そもそも話すという行為って、
どうやってます?
あまりにも自然に行えるので、
あまり考えないかもしれませんが、
実際にはこういう動きだと思います。
心が伝えたい想いを作り出します。
↓
頭がそれを言語化します。
↓
口が言葉を発します。
心と頭が別かどうかはこの際置いておいて、
考えて、話す。
こういう流れなのは皆同じだと思います。
そして、思考した時点で、
声にしなくても身体は反応しています。
例えば、
話を聞いていて、
その話に興味がなければ、
椅子に浅く座って、
話している人の方に注意を払わず、
もしかしたらスマホをいじっているかもしれません。
これ、わかりますよね?
話に興味を持っていたら、
姿勢を正して、
話し手の方を向いて、
熱心にメモをとっている。
話がよくわからなければ、
顔をかしげて、
腑に落ちない表情で、
不安そうな仕草が出たりします。
こういった、
身体が表現する聞き手の声にならない声を、
見て、聴くことができます。
興味がなさそうな人が多ければ、
興味を持ってもらえそうな話をする、
意識を引くために手を叩く、
問いかける、
なにかアクションをしてあげて、
貴方の『声』を聞いているよとアクションしてあげます。
よくわかっていなさそうならば、
わかりやすく言い直す、
具体的な例をあげてみる、
実際にアクションを取らせて理解を促す。
こういったことをすることで、
相手の話を聴くことで、
自分の話を聞いてもらえるようになります。
はっきり言って、
凄くめんどくさいし、
凄く難しいです。
では、
どうしてそうやって聴く力、
傾聴力とか言うこともありますが、
一生懸命行うのか、
それは、
人間は、相手の話を聴いた分しか、
話を聴いてもらえないからです。
まるで振り子のように、
相手の話を聴いた傾き分だけ、
相手が自分の話を聴いてくれます。
話をする時に最も大事な事は、
話を聴くことなんです。
ほんの少し意識するだけでも、
驚くほど自分の話を聞いてもらえるようになります。
そして、
自分のことをちゃんと見て話を聞いてくれる、
という行動を続けていると、
貴方は信頼の置ける人間になっていきます。
話を聞いてほしい時は、
相手の話をちゃんと聴く。
是非、日常に生かしてみてください。
結果として、
他者を承認することになり、
お互いが認め合えるような社会が出来ていきます。
大変だしめんどくさいかもしれませんが、
相手のため、回り回って自分のためにやってみませんか?
ではまた!!