昨夜、あるセミナーを聞きました。
正直、うん、正直言っちゃおう。
酷いセミナーでした。
私が聞いているセミナーではなく、
妻が聞いたセミナーでしたが・・・
オンラインセミナーであることを差し引いても、
お世辞にも良いセミナーとは言えない出来でした・・・
現在、社会全体が密を避け、
セミナーや勉強会、学会がオンラインになっています。
慣れないオンラインで不具合もあります。
ただ、
そういったレベルのお話では有りませんでした。
何かを学ぶためにセミナーを聞いて、
終わってみたらなんにも残らない。
そういうレベルのセミナーでした。
横で聞いていて、
何が問題なのかもたっくさん気が付きました。
そういう意味で、私的には非常に学びの多いセミナーでした。
ただ、そのセミナーを受けた人々が期待した、
成長は全く得られないだろうな、
そう確信してしまう内容でした。
オンラインだろうがオフラインだろうが、
講義だろうが会話だろうが、
我々がやっていることは、
話をして、話を聞いています。
単純化すればそれだけです。
話をしている側は、話を聞いていることを考えて話さなければいけませんし、
話を聞いている側は、話している側のことを考えて聞かなければいけません。
これが、
話をする。話を聞く。最低限の土台になります。
そう、
土台がないセミナーでした。
話をする側は、話を聞いている側のことを全く考えず、
自分の話したいことをただ話しており、
聞いている側の理解度なんて全部無視、
ただ言いたいことを言っているだけ。
当然聞く側は、何を言っているのかわからないので、
何も理解できません。
モニターで話している人の言葉を、
ただ耳に入れているだけになります。
にもかかわらず、
最近のセミナーの流行り、ワークを組み込みます。
最悪です。
なんにもわからない二人が、わからないことを突然ワークをしろと言われても、
何もわかりません、何をすればいいのかとワタワタして、
ワークの時間が終わります。
そして、全く理解出来ないわかりにくい解説が始まります。
本来解説の後にワークをいれて理解度を確認し、
アウトプットすることで理解度を深めるのに・・・
そっちのワークはありません・・・
また、解説の用語も統一性がありません。
カタカナ文字だったり日本語だったりが入り混じります。
どっかの都知事のように、
相手のことを考えていない人は、
自分の権威性を高めるために、
変な横文字を使います。
わからない単語が会話に出てくると、
混乱します。
パルスのファルシのルシがパージでコクーン。
こんなことを言われたって、聞いている方はポカーンとなります。
そう、聞いている人たちはオンラインでポカーンとした表情をしていました。
妻もそうです。
何いってんだ???って表情になってました。
これ、会話なんですよね。
話をしていて、聞いている側の表情や態度って、
そのまま聞き方になります。
理解できていればうんうんと興味を寄せいている表情態度になります。
わかっていなかったら、首を傾げたり、ポカーンとした表情になります。
話しては、そういった聞き手の態度という声を聞いて、
もっと噛み砕いて話さなければ、
よし、具体的な例をあげてみよう。
工夫して、聞き手に伝わる話にしなければいけません。
こういった工夫は、全くありませんでした。
結局、1時間40分、ほぼずーっと、何もわからない話を聞いていた、という結果になりました。
正直、講師のレベルが、低いと言わざるを得ませんでした。
有料だったら、
あー、外れだったなぁ・・・って思ってしまう。
やはり、
話し手と聞き手がちゃんとお互い心を通わせるセミナーって、いいな・・・
そう思ってしまいました。
セミナーとか講義だけではありません。
日常の会話全てに言えることです。
話すことと聴くことは表裏一体、
決して別には出来ません。
話しているときも聞き手の声だけじゃない声に心の矢印を向けて話さないと、
決して話は伝わりません。
聴くときも、話し手の声だけじゃなく、心に矢印を向けて聞かないと、
話は聴けません。
これは、土台です。
この土台の上に、
話の内容や、話し方のテクニックが乗ってくるんです。
いくらいい文章を書いても、土台がなければシラけた話になります。
いくら話し方が上手くても、土台がなければ白々しい話し方になります。
なんか凄そうな話をしているのに、全く心に響かない人は、土台がありません。
逆に、たどたどしくて、内容もそこまでではないのに、心に響く話をする人は、土台がちゃんとあるんです。
私は、仕事でできる限り話すこと、聴くこと、心の矢印を相手に向けることを意識するようにしています。
もちろん日常でも、
大変ですし、
めんどくさいですし、
時に辛いことですが、
土台をしっかりしなければ、
誰も私の話を聞いてくれない。
そう思って頑張っています。
皆様も、
話す時、
聴く時、
相手の心に、自分の心の矢印を向けてみませんか?
ではまた!!