私、常に承認の社会をつくりたいと言っていますが、
承認ってのが誤解されやすいなーって思ってます。
いいことだろうが悪いことだろうが、
全てを「いいね!」と受け入れること、
それが承認。
って思われがちですが、
そうじゃありません。
承認ってのは、
その人を、一人の人間として認めることであって。
正しいとか、悪いとか、そことは別の意識なんです。
土台に他者への承認があって、
その上にいいことは称賛し、悪いことはきちんと批判する。
悪いことに対して、誹謗中傷のような否定ではなく、
相手のことを大切に思うからこその批判、
そういう事は、むしろ承認しているからこそしっかりと行います。
もちろん、
人間同士の距離感はあります。
道に歩いてる他人に突然、貴方のためだからって説教したりはしませんが、
親しい人で、きちんと承認の土台を作った上で、
謝った方向に進もうとしていれば、
相手に不況を買うことを覚悟して、
苦言を呈するんです。
相手のことが大事だから。
この、相手のためだから指導してやる。
って考え方は、
非常に危険な面を含むので、
土台の承認、
相手への人間としてのリスペクトをしっかりと作ってからやっています。
自分の心の中の矢印を、
しっかりと相手に向けて話すように気をつけています。
なんかね、頑張っている人を批判することを十把一絡げで悪だとしたり、
相手を注意することを全て悪だとしたり、
そういったことからすぐ逃げろ、って無責任に言う人は多いです。
嫌なら辞めろってのは非常にそのとおりだと思うのですが、
自分の成長を捨てて逃げ続けて、
結果として何も残らなかった時に、
その逃げろと言っていた人たちは貴方の人生に一切の責任を取ってくれません。
自分の人生に責任を取ってくれるのは、自分自身しかいません。
全ての人生は自分自身の選択の積み重ねによって作られていて、
その選択の責任は、自分自身にしか無いんですよね。
そして、人生の価値は、
自分自身で決めているんです。
失敗して、価値が下がったと決めるのも自分の自由。
失敗して、成長したって決めるのも自分の自由。
自分自身で、過去さえも変えられるし、
もちろん未来も変えられるわけです。
逃げるのも、踏ん張って進んでみるのも自分で決めているんです。
他人や周囲の環境の性だけにしても、
自分の成長には繋がりにくいです。
追い込まれていると、自分自身がわからなくなるので、
そういったときに他者の目線でのアドバイスを受けることは一切否定しませんが、
最期の判断をする時、自分を客観視出来るもうひとりの自分をしっかりと持てるように、
日常からメタ視点、第三者視点での思考をトレーニングしておきましょう。
極端に自責をするのは辛すぎますが、
他責の人生は自分の人生を他人に委ねているだけです、
問題点が見つかったら、ただ責めるんじゃなくて、
問題をどう解決するかの道筋を考えて、
対応して、
自分を成長させていきましょう。
もし、道が見つからなかったら、
一歩引いてみたり、
高いところから見てみたり、
本当にその道を歩まなければいけないのか、
いろんなことが実は考えられます。
変えられない、って決めているのは自分です。
実は簡単に変えられたりします。
悩むことに悩んでいるような心理状態だと、
何も頭が働かなくなります。
逃げられる。っていう選択肢は、
思考が凝り固まらないための武器だと思ってください。
変われるんだ。って道を知っていれば、
冷静に自分自身を高いところから広い視点で見れるはずです。
新しい環境に飛び込む時期です。
いろんな悩みが出てきます。
悩みがあることで悩むんじゃなくて、
悩みを分解して問題点をはっきりとさせて、
解決法を考えましょう。
矛盾してるようですが、
自分で無理なことは無理なので、
人に助けてもらいましょう。
もし、人に助けてもらったら、
誰かに助けを求められたら、
自分にできる範囲で手を貸してあげてください。
この、救いの手を個人個人がつなぎ合う社会、
それが承認の社会なんじゃないのかな?
って私は考えています。
やさしい承認の社会、
皆で作っていきたいです。
ではまた!!