2011年3月11日
日本人にとってこの日は決して忘れることが出来ない日になりました。
東日本大震災。
マグニチュード9という日本で最大の地震が福島を中心に発生し、
大津波によって甚大な被害を生み出した天災です。
未だに多くの爪痕を残している天災・・・
それから北海道や熊本、そして今回の石川と、
天災は日本各地で獰猛な牙を突き立ててきます。
ある程度備えることもできるとは思いますが、
人間のスケールを超えた天災の前には人間は無力なんだと思います。
最近、千葉も地震が散発しており、
いつ大きな地震が来るのかと不安になっています。
天災の犠牲になられたすべての方、今も被災された傷跡に苦しめられているすべての方に
一刻も早い心と体の平穏が訪れることを、心の底から願っております。
当時私は内科学アカデミーという学会に参加しており、
横浜におりました。
皮膚の講義を聞いている途中に揺れ始め、
とにかく長いし揺れ方が気持ち悪いと感じました。
講師の先生の上部にあったモニターがぐわんぐわん揺れてみんなで先生あぶないですーって言ったのを覚えています。
その後避難しても何度も何度も余震がありました。
友人と駅前に避難しても当然電車は動いておらず、
私はホテルを確保していたのですが、
2つ駅が離れていたので友人とささっと居酒屋に入って復旧するのを待つことにしました。
と、言ってもお店も停電などで何も出来ず、ただただ待ちました。
結局電車は動かず、ホテルへと戻ることにしました。
自分の病院との連絡もつかないし、本当に不安でした。
結局ホテルも安全確認が出来て部屋に入れたのが3時。
夜中も繰り返す地震のアラートと館内放送、
13階だったために余震の揺れも大きくて、
ほとんど眠ることが出来ずに朝になりました。
結局学会どころではなくなんとか帰宅すると、
幸運なことに病院内の被害も、家の被害も軽微でした。
そこから計画停電などなど、元の生活に戻るまでに長い時間がかかりました。
あれから13年経っても、まだ復興が出来ていないほどの傷跡を残しているとは
あの当時は思いもよりませんでした。
私程度の被災でもこれだけはっきりと覚えているのですから、
東日本の被災された方、そして、その後の様々な天災の被災をされた方々の恐怖の記憶は計り知れないでしょう
本当に、どうか心穏やかに過ごせることを祈ります。
風評被害もひどかったですね、
私がTwitterで騒ぎ始めたきっかけも
そのあたりへの憤りから来ていたような気がします。
あの当時は、ちょっと思想が出まくっていて若気の至りですね・・・
え、今も変わってない?
人間は簡単には変われません。
でも、簡単に変われます。
自分自身が変わると決めたとき、
人間は変わるのです。
ただ、
他人は変えられません。
本当に、他人は変えられません。
他人自身が変わる、と思ってくれなければ絶対に変わりません。
何の話だ。
とにかく、
被災されたすべての方々が、
皆救われますように、
私は毎日を一生懸命生きたいと思います。
ではまた!!